おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

階段


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先日久々に母の夢を見た
といっても僅かな時間だった気がするが
それはどこかの道を歩む母の後ろ姿だった

それからまた数日後くらいだったか
何もしていないのに
なぜか左足の膝小僧が痛み出した

最初は気にもとめなかったが
その痛みは日に日に増していき
歩くのにも困るぐらいになったので
大祭前の時期ということもあり
念のため病院へいくことにした

検査の結果、骨には異常なく
膝の脂肪組織に炎症が起きているとのことで
湿布薬を処方していただいた
左足に体重をかけると痛みが走るので
特に階段を昇る時には
左足を庇いつつ右足だけに重心をかけるように
一歩一歩昇るというかんじだった

痛みのある最中のわたしの心には
「大丈夫かな?治るかなあ?」
「大祭が近いのにまいったなあ」
そんな心配で頭がいっぱいだった
うちの教会は2階がお広前なので
準備の御用となると
1階と2階の往復で上下の動きが多いからだ


その後湿布が効いたようで左足は日に日によくなり
階段も普通にトントンっと軽快に昇り降りが
出来るまでにおかげを頂いて治った

そんな矢先に
ある先生の教話が掲載されている冊子に出会った
そしてその本を拝読しながらハッと思い出されたことがあった
それは「階段を一段一段昇る母の姿」である

母はわたしが中学生の頃
脳梗塞になり左半身不随の障害がのこった
さらにそれから11年後に父が亡くなってから
母はその後を受けて教会長の御用をさせて頂いた
特に教会長として御用に立たれた7年間
不自由な身体であったが
毎日毎日、階段をあがって2階の御広前へ
出仕し御用にお使い頂いた

その日常の母の後ろ姿が思い出されたのである

そしてその母の姿が
先日まで痛い左足を庇って
階段を昇っていた自分の姿とだぶった

しかし
姿は同じようでも
母とわたしでは
心根が違ったということにも気がつかせて頂いた

わたしは心配しながらの一歩一歩だったが
母は「金光様」と祈りながらの一歩一歩だった

その違いがいよいよハッキリと分からされた

さらに
心身の健康を頂いている状態のわたしの日常
つまりトントンと軽快に階段を昇ることが出来ているわたしには

祈りがないことに気がついた

その母の後を継いで13年が経とうとしているが
「受け継ぎきれていない自分」を思い知らされている

いくら軽快に階段を昇ることが出来るわたしでも

金光様と祈りながら一歩一歩足を進める母の後ろを歩ませて頂いていることを忘れてはならないと
改めて思わされている