おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

なめねこ免許2


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わたしは金光教の教師だから
こんな事を言ったらいけないのかも
しれないけど。。。
つくづく思うのは
わたしは真に人を助けられないということだ


助けなきゃと日々願いをもって御用に当たらせて頂くけども
これがなかなかどうも、、、
まったく役に立っていない(笑)

 

 

だいたい毎日
お参りに来られる

ある70代の女性がいる

 

この人がなかなか大変

神様に助けてもらいたい一心だが
話すことも支離滅裂
さらには。。。
馬耳東風?
馬の耳に念仏?
(かなり失礼な表現ですがわたしの偽りなき思いです)
口では分かりました!
と生きの良い返事
やっと分かってくれたかなと安心しても
また次の日には見事なまでに元に戻ってるその心

 

正直こちらもズコッ!となる

昨日は2時間くらいだったか?
ああ、また無駄になったと
ガッカリするのだ

 

その人は
信心歴でいうと、半世紀近くなる
先々代の父がお結界に座っているときに
御神米の外袋に
み教えを書いてもらったものが出てきた
というので
どんなみ教えか聞いてみると
わたしが毎日毎日言わせて頂いていることと
ほぼ同じ内容のものだった

つまり、何十年参拝しても
なかなか人って変われないものなんだと感じ
なんだかとても虚しい気持ちさえ
してきた

ふと気がつけば
そんな思いが頂点に達し
ついついその女性を責める気持ちが
膨らんで抑えられなくなっている

そういう思いになるときには
必ず自分のことは棚上げにしておる

そんな自分の心にモヤモヤ

 

すると。。


じゃあお前は変われたのか?との心の声


答えは。。。いいえ、変わってませんなー
     相変わらずな私ですなー(苦笑)

そして、
「あんた、一体何様や?(笑)」と
問いただす心の声


私もその女性も
立ち位置が違うだけで
神様からご覧になれば
大してかわりない

 

なのに私ったら

どんなお偉いさんなんでしょうね

上から目線も甚だしい

 

神様からご覧になれば
お互いめぐり深い氏子同士の
ドングリのせいくらべに見えてるかも

 

なのに私ったら
私が助けなきゃと躍起になって
それで助けられれば凄いんだろうけど
助けるどころか
相手が思い通りにならないからと
心の中で責めている


どっちが難儀か分からないね~

 

ちなみにめぐりが深いっていうのは
なかなか変われないってことでもあり
自分のことしか見えていないということでも
あるのかなあ。。。

 

神様の思し召しに沿うとか
神様の御心に適うとか
口で言うのは簡単
行いにあらわすのは難関

 

必ずそこには難儀な自分自身という

関所が
立ちふさがる

 

そして、、、

全速力で逃げる!!!!

その方が楽だから

 

これが私の揺るぎない正体

 

ちなみに
金光教の教師ですが
実は
なめねこ免許です
ハリボテです

神様が真に使ってくださるには

まだまだ遠い道のりだなあ

 


と、今日は鍋5つ分のタケノコをゆがきながら
事実確認(笑)


そうやって
奢った心をいさめつつ

今日も
本来の正しい立ち位置を修正中です