おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

世間知らず

よく主人から

「世間知らず」であるわたしを指摘される

まあ、そうだろうなあとは思う

否定はしないし、認めざるを得ない

だから主人の気持ちが分からないのかー(笑)と

納得もしている

 

しかし思う

 

そもそも「世間」とはどこにあるのか?

 

先日、ある教会の先生から言われた言葉がある

その先生は御用の傍ら「外」で仕事をされている

のだが、

「外(世間)は広いですよ」と教えてくださった

なるほどそうだろうなあとは思う

しかし、その先生はその言葉の続きに

なんと言いたかったのだろうか?

 

 

わたしなんて

まともに就職したことがないので

「世間」に通用するような

履歴書に列挙する

ステータスは何も持ち合わせていない

あ、普通車運転免許はあるか(それも危ういけども)

たちまちわたしのような

「世間知らず」が「外」へ出たら

「通用しない」「役に立たない」ということだろうか

 

 

世間を知ることは大切だろうとは思う

では知ったその後はどうだろうか?

知る前と知った後で

何が変わるのか?

 

世間を知っている人は

世間知らずと言われる人より、優れているのか?

一体何が?

 

 

そもそも世間を知っていると思っているあなたが

知っているその「世間」は

本当に「世間」なのか?

そしてそれは本当に「すべて」のか?

 

と今日も教会の中で

くすぶりながらやっかんでみる(笑)

 

苦し紛れに

もひとつ言いたい

 

世間を広く知っていても

世間を狭く生きている人がいるように

思う

 

世間を広く知っているようでも

その中にいて自分の心が広く生きれなければ

それは「世間知らず」と同じではないのか?

 

 

ちなみに

働く人を否定するつもりはございません。

わたしは主人の背中を

拝まないといけません

と、いつもおもってはいるのです

(思ってるだけじゃだめじゃん!笑)

あなたが働いてくださるおかげで

わたしは安心して

教会で御用が出来るのですからね

 

 

以上、世間知らずのやっかみでした(笑)