おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

願う矛先は自分

 


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長女は今日から関西方面に修学旅行に
出かけて行った

 

とても楽しそうに
そして興奮気味に?
準備する長女を見ながら
色々感慨深かった

 

今日は長女のことについて
これまでの経過のことも含め
書いておこうと思う

 

小学3年生の時に
場面緘黙(ばめんかんもく)と
診断された長女も今は
中学3年生にならせて頂いた。

 

今年から受験生だが
そんな自覚はまだ薄く。。
だけども、
毎日元気に登校させて
頂くおかげを頂いている

 

 

小学校卒業と同時に
場面緘黙の専門医のカウンセリングの方も
一旦卒業という形になった


とはいえ、
緘黙が「全快」した訳ではないので
これからの多感な時期を
今のまま乗り越えることが出来るか
親としては正直心配は尽きなかった

でもカウンセリングの先生の
特別な支援をしなくても
きっかけさえつかめば
出来るところまできている
との言葉も頂いたこともあり、

親としては
中学校の担任や部活の先生には
場面緘黙への理解と
本人の思いを必要なときに
代弁することはさせて頂きつつ
それ以外の特別な支援はお願いせずに
本人にあえて任せることにしてきた。

 

 

ということで小学生の頃よりは
少し放任気味?な中学校生活。

長女の心と言えば、
やはり私をあてにするところも
たまに見受けられたが、
今年からはあえて頼らずに
ということを
本人が自覚しつつあることは
とても有り難いことだと思う。

それは何より
日々、学校の先生やクラスメートをはじめ
部活の仲間の理解を頂けてのことで
ある
長女の話からもとても恵まれた環境に
おらせて頂いているんだなということが伺える
それはもちろん神様のご都合お繰り合わせを頂いてのことだ。

 

 

最近の長女は
進路について
ある程度明確な意志を持っているようだ。
「これまでの話せない自分のことを知っている人が誰もいない学校に行きたい」
らしい。
これは「逃げ」ではなくて
本人の「変わりたい」という心の変化でもあると
わたしは思う。

進路といえば
先々の進学や就職を見据えてという選択方法もあるが

こういう基準で考えるのも悪くないと思う

こんな感じで長女自身の中に
「変わりたい」と思う心が芽生えると
同時に
母である自分の心もおかげ頂いてきたんだ
と感じるこの頃である

 

以前はなんとか長女が
話せるようになって欲しいという
思いと
将来への心配の方が強かった自分だが
今は長女が「話せない」とか

「話せる」という
目先のことではなく、
長女自身が日々いそしむことが
出来ていることを親として喜び
また、この子にかけられた
神様の思し召しに沿わして
頂く生き方が出来ていくということが大切だということ。
そして
それを願わせて頂けるようになったこと。

さらには、長女がそうならせて頂けるように
まずは親である私自身の心の成長を
自分自身が願えるようになったことだ

つまり問題の矛先はいつでも「自分の心」
ということになった
そういうことに
今さら気がつかせて頂けた

 

さて修学旅行のお土産は何だろう?
ミニオンハリーポッターか?!
いやいや、母が一番楽しみなのは
いつもながら経緯の説明がまわりくどい

「土産話」だ(笑)

 

とにもかくにも

みんな無事に全日程を
終え「よき思い出」とともに
帰ってこれますように(祈)