おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

当たり前の中のおかげ

去る日曜日は
関係教会の生神金光大神大祭だった
主人やこどもたちもぜひお参りくださればとのことだったので

一緒にお引き寄せ頂いた

 

今回は教話の御用も賜っていた


家族の前というのは
なんとも話づらい(^^;)
日頃一番側にいて
わたしのよい部分と悪い部分も含め
わたしの本性をよくご存知の方々なので
口先だけのことを言うと
ハリボテなのがすくバレる(笑)

 

だからと言って当たり障りないこと言って

誤魔化すことも
御用としてはどうなのか?とも思い
思い切って日頃は
家族に対して(特に主人に対して)面と向かって言えないことも含め
教話の中で語らせて頂いた

内容は以前のブログには書いたことがあることだが家族の前で話すのは初めてのことだった

意味を理解していたかどうかは分からないけど
こどもたちは真剣に聞いてくれていた

主人も耳は傾けていてくれてたと思う(たぶん💦)

 

内容的には
信心というのは
当たり前の中のおかげに気づくこと 
ということ

うつ病を患うことを通して分からされた
家族の思いと
神様の思いを悟らせて頂けたことを
話させて頂いた

以前のブログ↓

見えない思い | 神様と二人三脚

 

 

なかなかの御修行だったが(笑)
なんとかさせてもらえた

 

家族はさぞおしりの辺りがモゾモゾしたこと
だろう

 

それにしてもやっぱりわたしは
教話苦手だ💦
後で自分で聞いてみて
大切なところを抜かしていたり
時間かけなくていいところを
熱弁してたり(笑)

聞いてくださる方もこれでは
御修行だ💦

 

しかし、お直会の時に
ある信者さんが
「わたしも似たような境遇なのでよく分からせてもらった」と仰ってくださった。

 

その言葉にわたしも救われる思いがした。

 

ちなみに長女は
「今日は最後までちゃんと聞いてた」と教えてくれた(いつもは聞いてないんだな、笑)


感想などはなかったが
いずれ大人になって
何かのきっかけで思い出してくれたら
いいなあと思う

 

主人はやっぱり
ノーリアクションだった(笑)


まあ予想通りだが

あの頃からまた何年も経ったが
相変わらず側にいてくださっているんだと

改めて

静かに感謝だ