おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

神様に喜ばれる演奏を


少しまた更新が遠のいてしまった。
おかげで体調はよく
忙しくさせて頂いている

昨日から教会では夏期信行期間に入った
とは言っても実質、教会長(わたし)だけの
取り組みになっているのが現実だ
それもまともには出来ていないが
それでも精一杯「させて頂こう」と
いう気持ちにならせて頂けることが有り難い
体調が良いから心が前向きにもなれる

この7月はいつもに増して忙しくなりそうだ。
今は特にわがこどもたちと共に
親教会にお引き寄せ頂いて
目下、1ヶ月後の金光教少年少女全国大会に
向けてブラスバンドの練習中だ。

今年は殊に特別で
親教会ブラスバンド
わかば祭の式典バンドを担当することとなられた
親教会では今年が開教100年という御年柄でもあり
早くからブラスメンバーの皆さんは忙しい合間を縫って自主練習をされている

わたしたち親子は一昨年から
歴史ある親教会のブラスバンドのお仲間に入れて頂いて
参加させて頂いている

参加させて頂いておりながら、
なかなかスケジュールが合わず
練習にほとんど出席出来ていないことが
心苦しい
しかしそんなわたしたち親子を
親教会の皆さんはあたたかく迎えてくださっている
だから何とかお役に立たせて頂きたいと思う

長女はアルトサックス
長男はトランペットとタンバリンを担当
二人とも大の練習嫌いなので
お世辞にも上手とは言えないが
何とか投げ出さずついていこうとしてくれているのが有り難いと思う
ちなみに次男はマラカスを適当にふっているが
本人はいたって真剣だ(笑)

わたしは昨年まではスネアドラムだったが
今年からトロンボーンをさせて頂くことになった

トロンボーンも中学の部活以来だ

わたしは中学の時は吹奏楽部に所属していた
中学2年の後半から引退までの実質1年間
トロンボーンを吹いていた。

中学3年になってしばらくして
顧問の先生が
近くの短大付属高校の器楽科の入試を受けないかと声をかけてくださった
わたしは認められたことがとてもうれしくて
すぐさま両親に相談したが
大反対にあった
音楽家になるために生まれきたんじゃない
お道の教師にならせてもらって教会を後継
する以外にお前の道はないとたしなめられた

あきらめるしかなかった

母は脳梗塞で半身不随
父も年老いている状態であり
教会の御用をひとりでさせて頂いてた状態
だから
それ以上ワガママは言えなかった

もう音楽の道には進めないんだ
と思うと逆に私の心は頑なになってしまった
高校では吹奏楽部にあえて入らなかった
どうせ3年間頑張っても
その先で止めて学院に行かなければならない
そのようにしか考えられなくて
音楽から、特にトロンボーンから身を遠ざけてきた

あれから30年。。。(笑)

身も心も「オバサン」と化したわたしの目の前に「これがあなたの楽器です」と
トロンボーンを頂いた時には
手も心も震えた

神様が「吹いていいよ」と用意してくださった気がした。

そして恐る恐るふいてみた。。。

見事に吹けなかった!_| ̄|○

もう少しまともに吹けると思っていたけど
30年のブランクの大きさを改めて感じて絶句(^^;)




今振り返ってみて思うこと

あの時のわたしの実力では
器楽科を受けることが出来たとしても
結果は知れていたと思う

ただわたしとしては当たって砕けたかったのだ
でも、当たってみることさえ許してもらえなかったことが何よりつらかった

再びトロンボーンを手にさせて頂いて
改めて思う
これは
神様が用意して下さった舞台だ 

だから今度は悔いのないよう
神様に喜んで頂ける演奏をさせていただきたい

親教会の皆さんや演奏を聴いて下さる皆さんにも喜んで頂ける

そして自分も嬉しい演奏をさせていただきたい


そのように願いつつ
練習の日々である




















今の難儀はきっと未来の宝物

昨日、叔父が参拝された。
叔父は今年84歳になる。


わたしはこの叔父のことが
大嫌いだったし、
恨んでいたと言っても過言ではない

叔父は母の弟になるのだが
母はわたしと叔父との関係を
際の際まで心配していた

わたしが叔父との関係に
苦しんでいたときには
親教会で泣きながら
御取次を頂いたこともある

親先生は
「相手(叔父)の思いをたてなさい」と
御理解くださった

それは無理だと正直思ったが
出来ていたかどうかは別にして
御理解を頂きながら
信心辛抱させて頂いた

それから10年以上も経った今
昔のことを冗談に出来るくらいに
穏やかな気持ちで
叔父と談笑が出来ている

叔父からすれば
わたしはさぞ頼りない教会長だと
思うが
それでも
今ではたててくださる

勿体ないことだと思う

昨日は教会の歴史についての
話や教会の行く末のこと
「真の信心とは」ということで
話は盛り上がった
気がつけば一時間以上の
長話になった(笑)

なんであんなに苦しまなければ
ならなかっただろう?と
時々考えることもあったが

叔父とのことがあったから
わたしは神様に懸命に向かうことが
できた

叔父もまた神様からのお差し向けだった
叔父のおかげで
大切なことを握らせて頂いた

今では叔父の立ち行きを
心から願えるようにならせて
頂けるようになった

そのことが本当に有り難い

御取次

昨日は親教会へお引き寄せ頂いた。
親教会は同じ市内にあって
車で20分ぐらいと近いので、
本当は日参させて頂きたいところだが、
今は月3回を目標に
勝手参りをさせて頂いている。

わたしが
本気で親教会の御取次を頂くようになったのは
父が亡くなってからだ。

といっても最初は
「親教会だから参らないといけない」
と思って義務的に形だけのお参りだった。

それからしばらく経ってのこと
今でもはっきり覚えているが
ある時に親先生から
「お教会では御取次が出来ておられますか?」と尋ねられたことがある。
わたしは
「はい!」と元気よく答えた(笑)

しかし後になって
「なぜ親先生はあのようなことを
お尋ねくださったのだろう?」
と妙に引っかかった。

そして
それからわたしの中で
「御取次の御用が出来ている」とは?
「御取次を頂く」とはどういうことか?
がとても問題になっている

あれから17,8年が経とうとしているが
色々あるなかで
御用をさせて頂きながら
その問題と日々向き合わせて
頂けているということが
とても有り難い

そんなことを感じさせて頂いた
昨日の参拝だった。


親の難儀


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昨日は月例祭だった
月例祭後にお墓参りをさせて頂いた。

その時ある人にバッタリお会いした。

その方は親の月命日には必ずお参りされているそうだ。
墓守の兄夫婦とは今は絶縁しているとのこと。
お話しながらふと思わされた。

兄弟で喧嘩する姿は
親にとったら難儀なものだろうなと。
いくら毎月欠かさずお参りしてくれても
親は心配に違いないと
そのかたのご両親が眠る墓石を
眺めながらそう感じた



わたしは一人っ子で兄弟はいないので
兄弟がいる人が羨ましいと思う。

でも世の中には
兄弟なんて欲しくなかったと
いう人もある。

親の死をきっかけに
兄弟が仲違いをするところもある。

兄弟関係だけではない
夫婦関係にしても
嫁姑関係にしても。。。。


わたしは立場上
その
ご兄弟双方の言い分を
聞かせて頂いたことがある。

当事者の思いとしては
それぞれの言い分は
至極もっともだと感じた。

「片方聞いて沙汰するな」
とはよく言ったものだが

結局聞かせて頂いて
どちらが正しいとはっきり結論がつかない(^^;

しかし
言い分は違えど
両方に共通するものがあるということに
気がついた

それは


自分の思いばかりを大切にして
相手の立場や心を思いやれない。

自分の方が正しいと思い込んで
相手に変わることばかりを求め
自分は少しも変わろうとはしない。

言葉尻だけを問題にし
その言葉が発せられた所以に心が
至らない。

相手を批判するときは
「~だろうから」とか
「たぶん~だ」という想像(妄想?)や決めつけが大半
(そのことは絶対間違いないと信じて疑わない)

そして「意固地」

わたしもかつてそういう
心だったことがあった。
いや今でも油断すると
すぐ心が頑なになってしまう。

「この天地に住む人間はみな神の氏子」

親神様からご覧になれば
人間のいさかいごとは
すべて親神様の難儀に直結する



常日頃
み教えを頂き
心を柔らかくする稽古を
させて頂きたいものだと改めて
思いながらの墓参となった。

場面緘黙(かんもく)を知ってください3


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今日は午後から
長女と二人でショッピングに出かけた

これまでは
家族みんなで行くことが基本で
娘と二人だけでということが
そう言えばほとんどなかった(^^;

女子?だけのお買物💓
親子でちょっとルンルン(笑)

ここ一年で背が急に伸びて
去年の夏物がことごとく着れなくなっていたので
長女の服や靴などを購入した

ひとしきり買い物を済ませて
喉が乾いたので
ファーストフードの店内で一息🍹


小学校高学年だから
そろそろ家族とというより
友だち同士でショッピングに
出かけたりするものだろうが
長女はほとんどそういう経験がない

遊びたいと思っていても
長女から友だちを誘うことは
出来ないし。。。



二人でお茶しながら
「楽しい🎵」と喜んでくれる長女
実は内心わたしの方がウキウキ❤だった

長女が注文したクリームソーダを
眺めながら昔のことを思い出していた。

わたしが子どものころ
母とこんな風にショッピングに
出掛けて楽しいと思った記憶が
あまりない

それはわたしと母は
祖母と孫くらい歳が離れていたから

いろんな意味で「楽しい」感じではなかったのだ

だから今こうして母になり娘と二人で
ファーストフード店で女子💓の話を
したり聞いたりしている
自分の状態がとても新鮮で
かなり舞い上がってしまった(笑)

楽しい時間はあっという間に過ぎ
そろそろお帰りの時間

いつもは「内緒」ごとは無しだが
今日のこのクリームソーダの件は
我が家の男どもには内緒だ(笑)

女同士の約束ごと



さて昨日に引き続き
場面緘黙症の啓発のための動画をご紹介

場面緘黙の代表的な本に
なっちゃんの声」というのがある

なっちゃんの声ー学校で話せない子どもたちの理解のために

なっちゃんの声ー学校で話せない子どもたちの理解のために


そのなっちゃんの心を代弁するように
語られている

緘黙のこどもたちの
声なき心の声が聞こえてくるよう

良かったらご覧ください↓


場面緘黙(かんもく)を知ってください3 - YouTube

場面緘黙(かんもく)を知ってください2

前の記事に引き続き
「場面緘黙」の啓発のための動画を
ご紹介

今回の動画は緘黙の子の母であり
また元教員という立場の方の言葉が
語られている

こどもたちにとって
学校または幼稚園や保育園というところは
一日の大半を過ごす場所であり
殊に担任の先生の対応は
こどもたちの人生にけっこう影響すると
思う

その担任の先生への周知と理解が
未だに広まっていない

わたしもこの4年間
その時々の担任の先生に
対応をお願いしてきたが、
皆さんが初めて聞いたというのが大半。
正しい対応をご存知の先生はいなかった。
また、対応にも温度差はあった。
もちろんお忙しい中に
ご無理を強いるつもりはないけれども


さらにわが子の異変に気がつき
診断をしてもらおうと思っても
場面緘黙症専門医が少ない
専門医とまでもいかなくても
場面緘黙症を知っている
小児科医や精神科医が少ない

その点はわたしたち親子は
とても恵まれていた

場面緘黙の専門医の第一人者と言われる
先生が主人の実家の程近くに開院されていたのだ。

これは本当に神様のおかげ
後押しがあってのことと感じている



場面緘黙症という名称を出すと
「最近は何でも病気として扱う」
ととられがちだ

わたしも特別に問題もなく
穏やかに日々が過ぎていくと
ついつい実は自分は
過保護な親なのでは?と
思ってしまうことがある

つまり放っておいても
そのうち治るんじゃないか?
大丈夫なんじゃないか?と

もちろん大丈夫な場合もあって
何かのきっかけで
自分自身の力で
ひとりでに克服する子もいるようだ

しかしそうでない場合もある
そしてそうでない場合のときに
本人は社会に適応出来ず思い悩み
本人の心の闇はどんどん深まっていく

本人が「生きづらさ」を感じる以上は
支援の手が必要だとやはり感じる

だから過保護な親と思われても
本人が本当に克服することが出来るまで
寄り添い続けたい


よかったらご覧ください↓


場面緘黙(かんもく)を知ってください2 - YouTube

場面緘黙(かんもく)を知ってください

5月は「場面緘黙」の啓発月間だった

もう6月だけど
場面緘黙の周知と理解の為に作成された動画を紹介

よかったらご覧ください


場面緘黙(かんもく)を知ってください - YouTube

わたしはこの動画を初めて観た当初
「治療法はない」というところで
けっこうショックを受けたものだ

親のわたしが
長女の難儀から目を背けようとしていた

でも

近道はない

長い目で、気長に、根気よく、焦らず
親は待たなければならないということを
この動画に教えてもらった。

親として出きることは少ないけれど
ただ何もしないで待つのではなく
より沿いながら
見守りながら
長女の「自信」を育むこと



カウンセリングを受けているけど
これは
治療ではなく
「自分を知る」作業のようなものだ

己を知る
そして
ちいさい「出来る」を積み重ね
それを「自信」につなげていく

そして常に長女を信じて「祈る」