おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

場面緘黙(かんもく)を知ってください2

前の記事に引き続き
「場面緘黙」の啓発のための動画を
ご紹介

今回の動画は緘黙の子の母であり
また元教員という立場の方の言葉が
語られている

こどもたちにとって
学校または幼稚園や保育園というところは
一日の大半を過ごす場所であり
殊に担任の先生の対応は
こどもたちの人生にけっこう影響すると
思う

その担任の先生への周知と理解が
未だに広まっていない

わたしもこの4年間
その時々の担任の先生に
対応をお願いしてきたが、
皆さんが初めて聞いたというのが大半。
正しい対応をご存知の先生はいなかった。
また、対応にも温度差はあった。
もちろんお忙しい中に
ご無理を強いるつもりはないけれども


さらにわが子の異変に気がつき
診断をしてもらおうと思っても
場面緘黙症専門医が少ない
専門医とまでもいかなくても
場面緘黙症を知っている
小児科医や精神科医が少ない

その点はわたしたち親子は
とても恵まれていた

場面緘黙の専門医の第一人者と言われる
先生が主人の実家の程近くに開院されていたのだ。

これは本当に神様のおかげ
後押しがあってのことと感じている



場面緘黙症という名称を出すと
「最近は何でも病気として扱う」
ととられがちだ

わたしも特別に問題もなく
穏やかに日々が過ぎていくと
ついつい実は自分は
過保護な親なのでは?と
思ってしまうことがある

つまり放っておいても
そのうち治るんじゃないか?
大丈夫なんじゃないか?と

もちろん大丈夫な場合もあって
何かのきっかけで
自分自身の力で
ひとりでに克服する子もいるようだ

しかしそうでない場合もある
そしてそうでない場合のときに
本人は社会に適応出来ず思い悩み
本人の心の闇はどんどん深まっていく

本人が「生きづらさ」を感じる以上は
支援の手が必要だとやはり感じる

だから過保護な親と思われても
本人が本当に克服することが出来るまで
寄り添い続けたい


よかったらご覧ください↓


場面緘黙(かんもく)を知ってください2 - YouTube

場面緘黙(かんもく)を知ってください

5月は「場面緘黙」の啓発月間だった

もう6月だけど
場面緘黙の周知と理解の為に作成された動画を紹介

よかったらご覧ください


場面緘黙(かんもく)を知ってください - YouTube

わたしはこの動画を初めて観た当初
「治療法はない」というところで
けっこうショックを受けたものだ

親のわたしが
長女の難儀から目を背けようとしていた

でも

近道はない

長い目で、気長に、根気よく、焦らず
親は待たなければならないということを
この動画に教えてもらった。

親として出きることは少ないけれど
ただ何もしないで待つのではなく
より沿いながら
見守りながら
長女の「自信」を育むこと



カウンセリングを受けているけど
これは
治療ではなく
「自分を知る」作業のようなものだ

己を知る
そして
ちいさい「出来る」を積み重ね
それを「自信」につなげていく

そして常に長女を信じて「祈る」

心配する心で

「日々がさら」
つまり 一日一日が新しい
というみ教えがあるけれど

わたしのような凡人は
毎日毎日
自分の信心のモチベーションの
浮き沈みがある
毎日同じ心でというのが理想だが
神様に向かえる日と
そうでもない日と
まったく背中を向けてる日と
なんとなく
ななめ45°の日とある
昨日が満点だから
今日も満点とはいかない
今日になると0点だなと思う時もある

一日でまるで違う

なんとあてにならない自分の心だろう(笑)


我が子をみてると
今日はとても言うことを聞ける
「よいこ」な日もあれば
まあまあな「ふつうなこ」の日もあり
まったく言うことを聞かない
「わるお」な日ももちろんある

親としては
どの日もまったく安心というものがない
わるおはもちろん心配だし
普通は普通で
もっとよりよくなって欲しいと
願わずにはおれないし、
よいこはよいこで
無理をしてるんじゃないかと心配になる

神様はわたしたちの親様だから
きっと同じような心持ちで
おられるに違いない
そしてきっとどんなときも
祈ってくたさっている

だからわたしもこどもたちに
祈りをかけてやらねばと思う

今日も心配する心で信心させてもらおう

義父の入院と運動会


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今日、無事に義父が退院した。

昨日はこどもたちの運動会の振り替え休日と主人の休日が重なり
義父の入院している病院へ御見舞いに
行かせてもらったが、いつもの義父で
お元気そうで何よりだった。

入院したのは去る27日
その日は長女のカウンセリングの日。
長女が通う小児科は
主人の実家にほど近くで
カウンセリングの帰りに
いつものように立ち寄った。

すると、なぜか家には鍵が。。。
わたしたちが来ることは
主人の両親は分かっていたはずなのに。。。

何かあったのかな。。。

その予感は的中!

その時、義父が山で怪我をして
救急車で運ばれていたというのだ。

怪我の詳細はここで書くのは差し控えるが
(色々説明が面倒なので(^^;)

命に関わるまではないにしても
化膿や感染を起こすと厄介な場所なので
念のため入院ということになった。

義母はわたしにすぐ連絡しようと
思ったが、気が動転してウッカリ携帯電話を忘れていて
番号も分からず連絡が出来なかったそうなのだ。

これは後から聞いた話だが
義母はわたしと連絡がとれないとなったとに
思わず
「金光様!」
と祈り願ったそうだ。

とても有り難かった。


神様はすでにちゃんとおかげを
下さっていた。

義父は山で怪我をしたが
それから自力で家まで帰りついた。
この時点で
出血は大したことはなかったようだ。

実は、義父は昨年心筋梗塞の発作で
命の危ういところを助かるおかげを
頂いたのだが、その発作以降
血を流れやすくするための薬を服用していた。だから怪我をすると止血しづらいはずだったが、少量の出血で済んでいたのだ。

それは少量の出血で留まる程度の怪我で
済んでいた。
もっと深い傷を負って
出血が多量だったら
自力で山を降りれなかったと思うのだ。

これを「偶々で運が良かった」とは
わたしは思わない
神様が守ってくださったんだと感じる

そしてちゃんと神様は
願う氏子におかげを授けてくださった


主人の両親はいつも
こどもたちの運動会に見に来てくださっていて、今回も楽しみにしていた。

ところが入院ということで来られなくなった。
こどもたちはガッカリ
特におばあちゃんっ子の長女は
かなり残念な様子だった。

運動会当日の予報はくもりのち雨で
順延の可能性が高かったので
数日後に延びて欲しいと長女は言っていたが
運動会は順延することなく雨の中開催された。

次男にとっては初めての
長女にとっては最後の
後にも先にも2度とない
こどもたち3人の揃った運動会だったから
両親には見に来てもらいたかった。

残念と思えばそれまでのこと

運動会では夫婦で連携して?
大人数の中から必死で我が子を探し
ビデオに収めた(笑)

特に長女が見てほしいと力説していた組体操は絶対にビデオに収めたいとの執念でわたしが録った(のでかなりブレブレだったが、(笑))

また近いうちに主人の両親に観て頂こうと思う。

主人の両親が生きていてくださってるから
こういう親孝行が出来させて頂ける。

それが何よりのおかけだ

まだまだ主人の両親にはご恩をお返しするどころか、お世話になりっぱなしだが

長女の緘黙(かんもく)


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昨日は長女のカウンセリングの日だった。

長女は3年前に
「場面緘黙(ばめんかんもく)症」と診断され
それから2-3ヶ月に1度
専門医のいる病院を受診し
臨床心理士のカウンセリングを受けている

場面緘黙症というのは簡単に言うと
家庭では普通に話せるのに
学校などの社会的な場面で
話せなくなるという症状のこと

しかし
症状の現れ方は個人差があり

長女の場合は
学校で発表や音読などでは小さいながらも
声が出るけれど
先生や友達とのフリートークは
出来づらいという感じ
あと表情がどうしても固くなるようだ

症状の強い子は
声だけでなく行動が抑制される
「緘動」という症状になる子もいるそう

よく勘違いされるのだが
引っ込み思案とか
人見知りとかとは少し違う
確かに下地にはそういう部分も
なきにしもあらずだが
普通は1ヶ月もすれば慣れてくるもの

しかし
緘黙の子は年単位で症状が続く

本人の意思で「話さない」のではなく
「話せない」のだ



最近の長女はどうやら
症状は相変わらずのまま

家では普通に話すので
学校ではどうなっているか
親のわたしが実際の症状の変化が把握しづらい


この春長女は6年生に進級
下級生のお世話や委員会のことを
否応なしにする立場となることから
当初わたしは長女に出来るか
心配で堪らなかった

しかし
わたしの心配を裏切り
長女は予想以上に頑張っているようだ

長女は今登校班の班長で
班の一年生のお世話をしている

それから委員会は保健委員に所属している
ときどき給食の放送時に
保健委員会からのお知らせの
原稿を読んだりしているらしい
  
昨日学校へ長女を迎えに行ったとき
短かったが放送で流れる長女の声を聞いた


もちろん長女が一人で
頑張っているわけではない

担任の先生やお友だちの理解と協力のもとで
彼女なりの精一杯が叶っているのだ

たぶんプレッシャーやストレスも
大きいだろうが
否応なしに体験させられることによって
出来ることを自分で分かるチャンスでもあり

それは「自信」につながる

わたしに出来ることは

ひたすら心配しつつも

ありのままの長女を受け入れ
長女の可能性を信じていく

そして
これが先々のおかげになるようにと

祈りに祈るということに尽きる

家事をしているとき

よくPodcastを聴いている
 
お皿を洗うときや
洗濯物を干したり畳んだりするときは
聴きながらの方が捗る(ような気がする、笑)
 
特に好んで聴くのは
 
「たまむすび」
「ジェーンスーの生活は躍る」
 
パーソナリティが同い年、或いは同世代だから余計に面白いと感じるのかも?
 
他にも英会話など勉強系のものもあるが
ながら聴きなので、残念ながら
頭に入らないようだ💦
 
 
大祭の教話を録音したものや
典楽の曲を聴くこともよくある
 
典楽を聴いている時には
ついつい歌ってしまうので
端から見るとなかなか滑稽かも(^0^;)
 
でも楽しいのでやめられない
 
こんな感じなので
日々イヤホンはかかせない
ただ
なるべく小さい音量で聴くことにしている
というのも
耳も大切にしなきゃと思うから
 
 
主人の父が最近補聴器をつけるように
なったのだ
70代半ばでというのは少し早いらしい
義父の昔の仕事は線路の点検や修理で
かなりの騒音の中で四六時中仕事をしてきたからだそうだ
 
「慣れる」ということはある意味こわい
 
耳が聞こえづらくなってから
主人の両親は些細な喧嘩が増えたそうだ
 
耳が聞こえづらいということは 
本人も難儀だが、周りの人も辛い
 
新しい補聴器が夫婦の仲を取り持って
くれるといいなあ
 
 
当たり前だが
「聞こえる」と言うことは
とても有り難いことなのだ
 
こうやってブログを書いているあいだにも
いろんな音が聞こえてくる
 
外の車の音、台所の冷蔵庫の音
あとは、我が家の文鳥さんのさえずり
 
夕方になれば
これにこどもたちの声も加わる
 
ついつい「静かにして!」「うるさいよ!」と小言を言ってしまう
 
あらためて思う
 
 
こんな小言も
耳が聞こえるからこそ言えるのだな
 

育自

今日は2ヶ月ぶりに
典楽会支部の楽員稽古に出席してきた

次男は幼稚園を無事に卒園し
晴れて小学生にならせてもらって
わたしは幼稚園の送り迎えがなくなった分
今回からは以前よりか早く出発出来
またゆっくりお稽古が出来るようになった
(とルンルン🎵だった)

今日は秋の御本部大祭御奉仕曲を初めてお稽古した。
わたしは楽員2年目の若輩者なので
頂く曲全て初耳!
ついていくの必死(^0^;)

ゼイゼイハアハアな顔をしていると
本部指導員の先生はいつも仰る
「難しいやろ、けど、楽しかろう?」と

最近はその「楽しさ」を求めて
稽古しているがなかなかその境地を掴むまでには一山もふた山もある(>.<)

でもやはり楽は好きだ


無事にお稽古が終わり
教会へ帰ると
学校から帰っているはずの次男がいない

母との約束を破り 
宿題もせず
黙って
近所の友達と遊びに行っていた。。。
夜勤明けで寝ていた主人にも声もかけず

上の二人には
絶対になかったことだ(^0^;)

しかし冷静に考えてみると
まだまだ一年生だもんね
(しかもピッカピカの)


帰ってきた次男は
わたしにこっぴどく叱られたのは
言うまでもない

主人もわたしの顔が尋常ではないことに
気がついたようで次男のフォロー役に回った

顔は鬼のようだったかもしれないが
母は心の中では反省

「神様すみません
 今度からやはり早めに帰路につきます」