心配する心で
「日々がさら」
つまり 一日一日が新しい
というみ教えがあるけれど
わたしのような凡人は
毎日毎日
自分の信心のモチベーションの
浮き沈みがある
毎日同じ心でというのが理想だが
神様に向かえる日と
そうでもない日と
まったく背中を向けてる日と
なんとなく
ななめ45°の日とある
昨日が満点だから
今日も満点とはいかない
今日になると0点だなと思う時もある
一日でまるで違う
なんとあてにならない自分の心だろう(笑)
我が子をみてると
今日はとても言うことを聞ける
「よいこ」な日もあれば
まあまあな「ふつうなこ」の日もあり
まったく言うことを聞かない
「わるお」な日ももちろんある
親としては
どの日もまったく安心というものがない
わるおはもちろん心配だし
普通は普通で
もっとよりよくなって欲しいと
願わずにはおれないし、
よいこはよいこで
無理をしてるんじゃないかと心配になる
神様はわたしたちの親様だから
きっと同じような心持ちで
おられるに違いない
そしてきっとどんなときも
祈ってくたさっている
だからわたしもこどもたちに
祈りをかけてやらねばと思う
今日も心配する心で信心させてもらおう