おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

長女の緘黙(かんもく)


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昨日は長女のカウンセリングの日だった。

長女は3年前に
「場面緘黙(ばめんかんもく)症」と診断され
それから2-3ヶ月に1度
専門医のいる病院を受診し
臨床心理士のカウンセリングを受けている

場面緘黙症というのは簡単に言うと
家庭では普通に話せるのに
学校などの社会的な場面で
話せなくなるという症状のこと

しかし
症状の現れ方は個人差があり

長女の場合は
学校で発表や音読などでは小さいながらも
声が出るけれど
先生や友達とのフリートークは
出来づらいという感じ
あと表情がどうしても固くなるようだ

症状の強い子は
声だけでなく行動が抑制される
「緘動」という症状になる子もいるそう

よく勘違いされるのだが
引っ込み思案とか
人見知りとかとは少し違う
確かに下地にはそういう部分も
なきにしもあらずだが
普通は1ヶ月もすれば慣れてくるもの

しかし
緘黙の子は年単位で症状が続く

本人の意思で「話さない」のではなく
「話せない」のだ



最近の長女はどうやら
症状は相変わらずのまま

家では普通に話すので
学校ではどうなっているか
親のわたしが実際の症状の変化が把握しづらい


この春長女は6年生に進級
下級生のお世話や委員会のことを
否応なしにする立場となることから
当初わたしは長女に出来るか
心配で堪らなかった

しかし
わたしの心配を裏切り
長女は予想以上に頑張っているようだ

長女は今登校班の班長で
班の一年生のお世話をしている

それから委員会は保健委員に所属している
ときどき給食の放送時に
保健委員会からのお知らせの
原稿を読んだりしているらしい
  
昨日学校へ長女を迎えに行ったとき
短かったが放送で流れる長女の声を聞いた


もちろん長女が一人で
頑張っているわけではない

担任の先生やお友だちの理解と協力のもとで
彼女なりの精一杯が叶っているのだ

たぶんプレッシャーやストレスも
大きいだろうが
否応なしに体験させられることによって
出来ることを自分で分かるチャンスでもあり

それは「自信」につながる

わたしに出来ることは

ひたすら心配しつつも

ありのままの長女を受け入れ
長女の可能性を信じていく

そして
これが先々のおかげになるようにと

祈りに祈るということに尽きる