おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

さらになる稽古

 先週末、御霊地で行われる

典楽会の本部練習会に参加させて頂いた

 本部楽員にならせて頂いて3年になるが

この本部練習会に参加させて頂くのが楽しみである

というのも約2日間ほぼ稽古漬けのスケジュールなのだ

特にストイックな稽古が好きなわけではないが、長時間、楽のことだけに集中出来ると

いうことがとても有り難い

 普段教会で稽古するのは1~2時間が関の山だし、

その時間も毎日とれるわけではない。

稽古しながら、他のことが気になったり、

時間が気になったりして、なかなか集中

出来ないことの方が多い

 練習会では4月に仕えられる天地金乃神大祭の

ご奉仕曲を中心にお稽古させて頂く

 箏は特に唄ものの曲を稽古するが

この唄ものが実は奥深くて難しい

今のように録音機器がなかった昔は

「口伝」だった

しかも唄自体の譜面はなく、

箏の譜面の横に 歌詞が記してあるだけである

そのため唄の節回しは 非常に個性に左右されやすい面があり

地方によって、また 教えて頂く先生によって 「違う」ということが起きる

その「違い」をなるべくなくし

ご奉仕のときにみんな 唄が揃うように

ということで 典楽会の本部指導員の先生方は

苦労されているそうだ

 わたしは幼い頃から楽の御用をさせて頂いていたが

典楽会に所属していたわけではなく

昔の先生が吹き込まれたカセットテープをお手本にして

我流で稽古するというようなことだったので

非常に個性的な節回しが身についていた。

だから40歳過ぎて楽員試験を受ける時には

自分の中で結構な改変をせざるをえなかった

それは技量的にももちろんだが メンタル的にもつらいものがあった

何というか

どうしてもこれまでの自分を「否定」されて

いる感じがしてしまうからだ

ある時 なかなか我流の節回しがなおらず

途方に暮れるわたしに 指導員の先生が

「新しい曲だと思って稽古しなさい」

と教えてくださった

その一言で 「ああ、なるほど」と合点がいき

そのときから

「自分の経験をリセットする稽古」

が 始まった気がする

 このリセットの稽古は 楽員におとり立て頂いてからも

色々な場面で続くようだ  ご奉仕曲はいつもその年その年で 典楽会で審議され方針が決まっている

唄の節回しは特にその年の方針で 以前と同じ曲であっても

「今年はこう」というものがある

 わたしは昔から教会で楽の御用させて頂いたといっても

数多ある吉備楽の曲の中で

教会の祭典で使用するほんの数曲のみしか知らなかった

だから楽員にならせて頂いてから

毎回毎回 教えて頂く曲は今のところ全部

「初めまして」な曲ばかりだ

それは曲を0から覚えなくてはならないので 確かに大変ではあるが、

「以前はこうだった」 

というような 経験がないだけに、

ある意味楽なのである

しかしやがて経験を重ねていくと

どうしても

「前はこうだった、ああだった」

という気持ちと向き合わなければならなく なるだろう

歳を重ね経験を積んでも 「リセット」出来るような 自分でありたいと願うが、、、、

 今も油断して稽古を怠ると昔に染み付いた我流な節回しが

ひょこっと顔を出すことがある

三代金光様が仰った

「日々がさらです」

という み教えの凄さと奥深さを

ほんの少しだけ感じさせて頂いているこの頃である