おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

煮え切らない日々

久々の更新
精神的に余裕なしの毎日に加え
ここ最近
とてもショックなことが続き
夏の疲れもあって
少し鬱々な日々を
実は送っている

出来れば
明るく前向きな気持ちで
ブログを更新したい

でも今回は少し
いや、かなり鬱っぽい気持ちを
吐き出します

暗い気持ちになりたくない方は
これ以上は読まないでください

 

 


ここ最近立て続けにショックなことが
起きた。
しかも、それは初めてではないことだ
以前にも
同じようなことに出くわしたことがある

またか!という思い
そして
悪い方向にしかいかないわたしの思考
わたしはこの壁を乗り越えて
おかげに出来るだろうか?という疑念との戦い

これまで取り組んできたことが
積み重ねてきたことが
見事に足元からすくわれて
しまうような衝撃を受けて
わたしは
面くらってしまった

神様は本当に厳しい
容赦がない
自分の信心が
如何に薄っぺらいものかを
目の当たりにさせられるような
出来事

本当に挫けそう
でもなんとかギリギリで
持ちこたえている状態

負けてたまるか!
誰に?
弱っちょろな自分に

こういう修行が
一生続くのだ


そんな時
教会連合会の臨時総会が開催された
次期連合会長の選出が
揉めに揉めた上に
結局時間切れとなっても
決まらないという
非常事態となった


わたしはその総会で司会の御用を
させて頂いたが
その様相は
本当に異様だった

詳しくは言えないが
それぞれが
教会の諸事情を持ち出して
みんなまるで

「逃げとけ 避けとけ 回っとけ」状態

わたしはとても憤りを感じた
誰も受けないならわたしが受けてやる
正直そう思った  
とはいえ
実際私の手元はそれどころではない
手元が覚束ない状態
しかし
絶対言い訳はしたくなかった

でも

へんな意地で受けたところで
おかげにならないということも
わかるから黙っていた

それからというもの
ずっと考えている

御用って何だろう?
信心とは?

自分は安全な場所にいて
もっともらしく語っていて。、。
しかしそれは「ホンモノの情熱」だろうか?

私自身
毎日の自分が
毎日毎日中途半端で終わっている

だから言う資格はないけども

でも
「大変だー大変だー」と喚いても
見苦しいだけではないか?

大変な中にも
黙って逃げずに
神様からの差し向けと信じて
受けていこうとするところに
神様はおかげをくださるような
気がする

それが間違いなく
このお道の教師の修行

連合会の御用も神様の御用に違いない
神様の御用は
暇があるからするのか?
生活に余裕があるからするのか?

いや、
暇があろうがなかろうが命がけでするものだ
だって
かつてのお道の教師がそうであったように
いやさらにさかのぼって
教祖様の生き様がそうだったではないか?

 

 

なんだか煮え切らない日々を送っているこの頃だ


とはいえ
今は手元をしっかりおかげ頂くしかないのだ

平和


f:id:fonwaka3:20160811220732j:image
 

夏休みが
あれよあれよと約半分過ぎた今日
金光教山口平和集会」に参加させて
頂いた

今回の集会では
なんと
「平和の歌をつくろう」という
ユニークなワークショップ?が開催された

参加者がいくつかの班に分かれて
「平和」からイメージされる
言葉(歌詞)を出し合うというもの

うーーーーん、平和、平和、平和。。。

普段から
平和を祈っているつもりだったが
パッと具体的なイメージが
思いつかないのはどういうことだろう?(笑)

とはいえ、
なんとかいくつか思いたった
言葉を出してみた 

わたしの頭の中でひらめいた言葉は

「明るい」「こどもたちの夢」「ゆるす」
「違いを認める」とかだった

ふと
わたしの横で小学生の男の子が一言
「いのち」
と書いていて
オバサンはただただ脱帽!


他にも
「祈り」「広島」「人を責めない」
とか
「親切」「思いやり」「当たり前ではない」
などの言葉が
わたしが参加していた班ではあがっていた

最後に
ひとりひとりが
一羽の折り鶴の羽に
平和の歌の歌詞にしたい言葉を書き
神様にお供えさせて頂いたが
いずれ実際に「平和の歌」が作られるそうだ

 

戦後71年を迎え
当事者の死亡、高齢化により
実際の戦火の記憶が薄れつつある中
このような平和集会も
形骸化しがちであることは否めない

しかしわたしは
出来るだけこれからも参加させて
頂きたいと思う 

 

その理由はとても単純だ
きっと父が生きていたら
参加していただろうと思うからだ

 

わたしの父は
シベリア抑留からの生還者だ。

父がもし、先の大戦で戦火に倒れていたら
シベリアで白樺の肥えとなっていたら
今わたしはここに存在しない

 

父が無事に生還出来たということの裏には
沢山のいのちの犠牲がある 

 

父はあまりその事を語ろうとしなかったが
父の日々黙々と平和を祈る背中が 

今も
わたしの脳裏に焼きついている

 

雑草

今日は予定した用事が変更となったので
少し早いけど
朝からお盆前のお墓掃除に行ってきた

お墓の周りには草が沢山あって
ひたすら草取りを
2時間ほど頑張った

沢山に育った雑草を刈る
けれどもまた雑草は生えてくる
場所を選ぶことなく

しぶとく生える雑草を刈りながら
思わされた

自分のおかれた環境に
ぶつぶつ文句を言うのは
人間くらいだなあと(笑)

物事が思い通りにいけば幸せで、
そうでなければ不幸せ
と決めてしまうのも人間ぐらいだなと(笑)

目の前に広がる雑草は
都合不都合に関係なく
立派に伸びている


雑草みたいに
どんなことでも
自分の栄養にして
しぶとく
生きのびたいものだ

夏休み突入


f:id:fonwaka3:20160723085651j:image

21日からこどもたちの通う小学校でも
夏休みに突入した

昨年の夏休みは
宿題が本当にギリギリになってしまい
ハラハラドキドキしながら
慌てて仕上げたということもあり

今年は3人の宿題をみてやらなくちゃいけない
ということもあって

母としては
今年は早めに宿題を
終わらせてもらいたいという
思いで頭がいっぱいだ(^^;)

一方こどもたちは
待ちに待った夏休み
うれしくてたまらない様子
 
ついつい浮かれ気分のこどもたちに
「早めにしなさい」と
口やかましく言ってしまう

すると長男が
「今やろうと思っていたところなのに
 先に言われるとやる気がなくなる」
とボヤく

なんだかうまい逃げ口上にも聞こえるが(笑)
確かにわたしも少し言い過ぎた感は否めない

だから今回は
なるべくこどもたちの自主性を
信じて
3回言うところを1回で留めるよう
母も努力してみようとは思う(^^;)

だいたい
わたしも言いたくて言ってる訳ではないのだ

こどもたちが困らないようにと
ついつい先に先に言ってしまうのが親心と
いうものだ

まま、しかし、
言い過ぎないように 
気をつけよう(笑)



寝込みました

数日前のこと
2日間寝込むことになった

ちょうどPMS の時期だった

PMS というのは女性特有のもので
別名、生理前症候群といって
毎月の生理が始まる2週間前から現れる
様々な症状のことである


詳しくは下記のサイトに書いてあるとおり



これは症状も人によって様々であり
強く出るひともあれば
全く感じない人あるので
男性はもちろん
同性にもなかなか理解されない場合がある

ちなみにわたしの場合は
身体症状よりも
心や行動の面で症状が強く出る

落ち込む
不安になる
ネガティブにしか考えられなくなる
凡ミスが増える
イライラする
ヒステリックになる
些細なことが気になる
集中力がなくなる
涙もろくなる
気力がなくなる


などなど。

わたしも辛いが
側にいる家族も辛いと思う(^^;)


このPMS の症状が出る時期は
なるべくのんびり
過ごすように心がけているが
なかなかそうもいかないことも多い

今回がそうだった

ちょうど要注意期間の時に
教会の祈願大祭、
連合会の運営会議
他教会での教話御用
そしてこどもたちの夏休み前の個人懇談と
いろいろ集中していた
さらにトドメを刺したのが
睡眠不足になったことだろう

この時期は特に
寝ること、食べることを疎かに
すると症状が酷くなる

「体の丈夫を願え。体を作れ。何事も体がもとなり」というみ教えがあるが
体を作ることに心がけていくことの大切さを
つくづく思う


今回久々に復活した鬱状態
最近調子が良かっただけにつらかった

だが差し支えるのが2日で済んだ

家族にはまた迷惑と心配をかけた

しかし結局すべての御用には
差し支えのないおかげを頂いた

ある意味夏休み前の体力補強期間とも
なったと言える(^^;)



それに
しんどい最中でも
祈って頂いているわたしであるということを
忘れずにいられたことは
とても良かった

今日は症状も完全になくなり
親教会に御礼参拝させて
頂くことが出来た

ごくごく
普通に
当たり前に
出来ている
そのことにいつも御礼が足りない

ということを
この時期は嫌でも思い出させて頂く

辛い時期をまた乗り越えることが出来て
良かった

御用の喜び

先月からだが、
2名の信者さんに典楽の箏を教えさせて
頂いている 

お二人もよく
こちらの願いを受けてくださったなあと思う

お二人とも箏を触れることが初めて
初心者の中の初心者である
ちなみに
わたしより年上の方である

何でもそうだが
最初から
上手に出来る人などいない

お二人とも目下苦戦中である
めちゃくちゃ余計な力が入っているので
手の構えもガチガチ
週に一度、一時間の稽古だが
きっととても疲れるに違いない

一方教えさせて頂くほうも
根気がいる

わたしは4、5歳の頃に箏を
母に教えて貰ったのだが、
具体的にどのように習ったかは
まったく覚えていない
いつの間にか
弾けるようになっていたのだ

それはわたしが忘れてしまって
いるだけなのだ
改めて母に御礼を申さねばと思うし
このお二人に育って頂くことが
母への恩返しのひとかけらになるだろうと思う

わたしはお二人に
果たして上手に教えられて
いるかは分からない

常に手探りだが
わたし自身が
楽と信心の
いい勉強をさせて頂いている

 
今はまだまだかもしれないが
お二人にもいつか
御用に使って頂ける喜びを
感じてほしいと祈るばかりだ

神様に喜ばれる演奏を


少しまた更新が遠のいてしまった。
おかげで体調はよく
忙しくさせて頂いている

昨日から教会では夏期信行期間に入った
とは言っても実質、教会長(わたし)だけの
取り組みになっているのが現実だ
それもまともには出来ていないが
それでも精一杯「させて頂こう」と
いう気持ちにならせて頂けることが有り難い
体調が良いから心が前向きにもなれる

この7月はいつもに増して忙しくなりそうだ。
今は特にわがこどもたちと共に
親教会にお引き寄せ頂いて
目下、1ヶ月後の金光教少年少女全国大会に
向けてブラスバンドの練習中だ。

今年は殊に特別で
親教会ブラスバンド
わかば祭の式典バンドを担当することとなられた
親教会では今年が開教100年という御年柄でもあり
早くからブラスメンバーの皆さんは忙しい合間を縫って自主練習をされている

わたしたち親子は一昨年から
歴史ある親教会のブラスバンドのお仲間に入れて頂いて
参加させて頂いている

参加させて頂いておりながら、
なかなかスケジュールが合わず
練習にほとんど出席出来ていないことが
心苦しい
しかしそんなわたしたち親子を
親教会の皆さんはあたたかく迎えてくださっている
だから何とかお役に立たせて頂きたいと思う

長女はアルトサックス
長男はトランペットとタンバリンを担当
二人とも大の練習嫌いなので
お世辞にも上手とは言えないが
何とか投げ出さずついていこうとしてくれているのが有り難いと思う
ちなみに次男はマラカスを適当にふっているが
本人はいたって真剣だ(笑)

わたしは昨年まではスネアドラムだったが
今年からトロンボーンをさせて頂くことになった

トロンボーンも中学の部活以来だ

わたしは中学の時は吹奏楽部に所属していた
中学2年の後半から引退までの実質1年間
トロンボーンを吹いていた。

中学3年になってしばらくして
顧問の先生が
近くの短大付属高校の器楽科の入試を受けないかと声をかけてくださった
わたしは認められたことがとてもうれしくて
すぐさま両親に相談したが
大反対にあった
音楽家になるために生まれきたんじゃない
お道の教師にならせてもらって教会を後継
する以外にお前の道はないとたしなめられた

あきらめるしかなかった

母は脳梗塞で半身不随
父も年老いている状態であり
教会の御用をひとりでさせて頂いてた状態
だから
それ以上ワガママは言えなかった

もう音楽の道には進めないんだ
と思うと逆に私の心は頑なになってしまった
高校では吹奏楽部にあえて入らなかった
どうせ3年間頑張っても
その先で止めて学院に行かなければならない
そのようにしか考えられなくて
音楽から、特にトロンボーンから身を遠ざけてきた

あれから30年。。。(笑)

身も心も「オバサン」と化したわたしの目の前に「これがあなたの楽器です」と
トロンボーンを頂いた時には
手も心も震えた

神様が「吹いていいよ」と用意してくださった気がした。

そして恐る恐るふいてみた。。。

見事に吹けなかった!_| ̄|○

もう少しまともに吹けると思っていたけど
30年のブランクの大きさを改めて感じて絶句(^^;)




今振り返ってみて思うこと

あの時のわたしの実力では
器楽科を受けることが出来たとしても
結果は知れていたと思う

ただわたしとしては当たって砕けたかったのだ
でも、当たってみることさえ許してもらえなかったことが何よりつらかった

再びトロンボーンを手にさせて頂いて
改めて思う
これは
神様が用意して下さった舞台だ 

だから今度は悔いのないよう
神様に喜んで頂ける演奏をさせていただきたい

親教会の皆さんや演奏を聴いて下さる皆さんにも喜んで頂ける

そして自分も嬉しい演奏をさせていただきたい


そのように願いつつ
練習の日々である