おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

お節介おばさん

 今観ているドラマのひとつに

監獄のお姫さま」というのがある

これは宮藤官九郎氏の脚本のドラマ ということで

面白いに違いないという確信を持って 最初から

見始めたが 次の火曜日でいよいよ最終回となる

 

このドラマを端的に表現すると

「おばさん達の壮大なお節介物語」である

 

お節介というと普通あまりよいイメージではない

そのせいか 最近はお節介な人が絶滅寸前な気がする

「ややこしいことに首を突っ込みたくない」

「人に迷惑だと思われたくない」

そんな気持ちがお節介を引っ込ませてしまう

 

いわゆる「事なかれ主義」が台頭する今の世の中

 

ドラマの中の中ではおばさんたちは

みな自分の人生を犠牲にしてまでも

「姫」のために復讐を計画するが、

このおばさんたちはどこか 「姫」のためではなく

自分のために やっている節がある

 

実はわたしも今「絶賛お節介中」である

日常生活を送りながらも かれこれ数ヶ月間

そのことが頭から離れない状態だ

本人に喜ばれているかといえば

疎ましがられてる部分は往々にしてある

まさに「お節介おばさん」と化している

 

お節介を焼いていて 自分は何やっているんだろうと  ふと冷静になることがある

モヤモヤする事だってある

 

ただ「事勿れ主義」で 常に自分は安全な場所にいて

渦中の人のことを あれこれと言う人にはなりたくない

 

改めてそう思う

 

さて数ヶ月間焼いてきたお節介も

一段落したと思ったら

ついついまた手を出さなくても済みそうなことに

手を出し始めてしまった

 

別にわたしがしなくても良いようなことである

ただでさえ忙しいのに 自分で自分の首を締めている

ようなものだ

蚊帳の外から見ている人には

「お馬鹿」と思われるかもしれない

 

それでもわたしの中の

「お節介おばさん」が動き出す

 

この「お節介おばさん」は

厄介だけどしばらく 付き合っていくしかなさそうだ