おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

助かってくれよという祈り

「ありがとう 言えた自分に ありがとう」

これは二十年ほど前にお世話になった

金光図書館を辞して教会へ帰るとき
当時の館長先生が
額に入れてくださった餞の言葉だ

当時のわたしは非常に心が荒み
逃げるように退職したこともあり
そのような餞の言葉は
当時の自分の心のなかでは宙に浮くばかりだった

それでも
心の奥底では
なれるものならこういう心になってみたいと
思っていたのかもしれない


あれから二十年が経って
今改めてこの言葉を詠んでみると
その言葉の意味と
その言葉にかけてくださっていた
「助かってくれよ」
という切なる祈りが鮮明に心に迫ってくる

今の自分には心から
「助かってほしい」と願う人たちがいる
でも
力になりたいと思っても
手を出せない状態が続いている
自分の無力さを嫌というほど感じている

ただただ神様に祈るしかない
そう思うなかで気づかされたこと


それが
あの餞の言葉をくださった館長の
「助かってくれよ」という祈りだ

 

「わが心でわが身を救い助けよ」
「わが心でわが身を生かすこともあり殺すこともある」
というみ教えがあるように
神様が助かってほしいと願いをかけてくださっていても
その神心をわたしたち人間が認識出来なければ

神様だって助けようがないという部分がある

実際わたしもつい最近まで
その神様の心が
そして
祈りをかけてくださっていた人の心が
認識できない人間だった

難儀にうもれながら
ただただ駄目な自分を責め
「生きていてごめんなさい」
と謝ってばかりだった

 

そんなわたしがいまこうしていられるのは

どんな自分であっても
祈られ願われている
ということに気がつけたということ

そしてそのことに「ありがとう」という
一言が言える心になれ

そしてよく気がつけたねと
自分の心にも「ありがとう」が言える心になれたというこ


わたしが今出来させて頂けること

それは

わたしがこれまでして頂いたように
わたしも今は

助かってくれよと信じて祈って待つのみなんだな

きっと