おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

逃げても逃げても

100年祭からあっという間に1ヶ月が
過ぎてしまった


過ぎてみれば
もう遠い昔のような
夢だったような
不思議な感覚

 

今はまたいつも通りの静かな御広前に
戻っているので

ついつい気が抜けそうに
なってしまっているこの頃だ

 

しかし100年の大切な年は
まだあと半分残っている!

 

さて今月は
連合会主催の教会女性活動研修会が
あり、信心発表をさせて頂いた

 

また先日は
教区主催の教会長教師研修会に
参加のおかげを頂いた

 

これまでのわたしの信心を
このよき節の年に
振り返るよい機会に恵まれたなあと
思う


振り返るということは
つまり過去についてのことに
なるが
 
難儀の最中
あれだけ苦しんでいたことが
時が経ち
歳も取り
つまりお育てを頂いた自分の心で
改めて考えて


「あれはおかげだったんだなあ。
 おかげの中にわたしはいたんだなあ」


と思えることほど
幸せなことはない

 

それを実感出来るということほど
これから生きていくうえで
強いものはないなあと思う

 

そして正に今その有り難さを
かみしめている


難儀なことが起こっても
これはどのようなおかげに
なっていくのかと思うと
ワクワクする
といえば
ちょっと強がりも入るが(笑)
今はそんな心境にならされている


ついつい難儀なことや
自分にとって不都合なことは
避けて通りたいと思うには思う

 

しかし

逃げていては

本当のおかげにはならない

 

逃げ回っていては

難儀は難儀のままなのだ

と確信する 

 

それにしても
過去
わたしはよく逃げ回った
逃げて逃げて逃げた先で
また難儀して逃げて(笑)
それで逃げたらダメと分かったのに
また逃げて(笑)

でもどんなに逃げようとも
神様の
氏子を助けたいという心からは
逃げられるものではないのだ

 

そんなことをふと思わされたので
記してみました