おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

「自立」した信心

 

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新年あけましておめでとうございます
今年もまったり更新でまいります
どうぞよろしくお願いします


さて
年が明けたのに
話は昨年末に遡る

昨年12月に
長女の場面緘黙症のカウンセリングに
夏休み以来で行ってきた

長女が小学3年生の時から

通い始めたカウンセリング

次回3月をもって
一応「卒業」させて頂くことになった

今でも初めて受診した時のことを

はっきり思い出す事が出来る


初めて「場面緘黙症」のことを知った長女が
帰りの車の中で胸の内を話してくれたことを


学校で話せない自分について
「世界中でわたし一人だけが変なのかと思ってた」

と言った長女の言葉


当時は親子で五里霧中な心境ではあったが
自分の心の内を話せた長女にとっても
長女の心を知った母のわたしにとっても
尊い一歩を踏み出した瞬間だった

 

あれから3年
相変わらず学校では
積極的な発語や
フリートークは難しい部分もあるが
担任の先生をはじめ学校の先生方や

クラスメートなどの友人の理解を頂いて
本人が安心して
学校生活が送れるようになってきた


特に6年生に進級してからの
長女の心の成長には
今までになく目覚ましいものがあった

一学期がはじまる頃は
親としては正直大丈夫だろうかと
心配ばかりであった
6年になると上級生として
責任ある役も増える
果たして
長女に出来るだろうかと

 

しかし
カウンセリングの先生は
「話さないといけない状況に追い込まれれば
出来るところまできてる」
と今の長女の状況を的確に分析してくださった。
そして
「本人を信じてあえて制限を設けず任せてみたらいいかもしれないですね」
という一言でわたしもとても楽になった

 

また、担任の先生も本人のよい部分を
しっかり取り上げてくださって
そのことが本人の

「自信」

につながったようだ

 

そして2学期の個人懇談


順番を待っているときに目に入ってきた
廊下に貼られている教室での写真には
楽しそうな笑顔で写る長女がいた

 

小3のときの教室で撮られていた

スナップ写真に写っていた長女は
後ろの方で人の影に隠れるように
無表情で佇んでいたのだが

その時とは別人のようないい笑顔

 

あの頃のことが思い出されて
よくここまでおかげ頂いてきたなあと
胸が熱くなった

 

通知表には「自主・自立」とある欄のよくできるに○をつけてくださっていた 

 

話す、話さないというところを問題にすると
そんなに進歩はないのかもしれないが 
それ以外のところで
長女は一生懸命頑張ったようだ
それもいやいやではなく
人に流されるわけでなく
自分の問題を知りつつ抱えながらも
自らの志で出来るところを精一杯
行動に起こすことが出来た

 

「ああ、成長させて頂いたなあ」


そう感じれることは本当に親として

かけがえのない喜びであり幸せだ

 

年末の親教会での御礼参拝では

わたしの横で姿勢を正して親先生のお話に耳を傾ける長女の姿があった

長女なりに神様のおかげを実感させて頂けたのかもしれない

そう思うと

場面緘黙症」という障害が 

単なる障害ではない

とても尊いものを孕んでであるような

気持ちがして有り難いとさえ思えた


さて

年が明けて教会の元日祭
毎年恒例のみ教え福引きを引いた


わたしが引いたのは

「信心は、話を聞くだけが能ではない。
 わが心からも練り出すがよい」
というみ教えだった

 

なんだか親神様
わたしにも「自立」を求めておられるのかと感じた

 

長女が親のわたしを喜ばせてくれたように
わたしも親神様に喜んで頂けるような
「自立」した信心が

出来させて頂けるかどうか

そして一歩成長をさせて頂けるかどうか

それが
わたしの今年の目標であり課題である