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おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

何を目的にするのか?

子心 親心 信心

こどもたちの学校では
12月の持久走大会に向けて練習が始まって
いるようだ

先日
長女が学校から帰ってきて
「お母さんが言っていたことと同じことを先生が言ってた」
と話してくれた。

何のこと?と聞いてみると

「ご褒美目当てに走るな」と言われたそうだ。

そしてしばし長女と何を目的に走るのか
ということについて意見交換した。

長女は以前は
友達は何位以内に入ったら何を買ってもらえるという話題で持ちきりになるが
うちは何もないからつまらないとよく言っていた。

そう言って悲しい顔をされる時には
わたしも悲しい。つい情に流されて
何か買ってやった方がいいのかなあと
迷う

しかし、いやいや
と思い直すのだ

そういえば
まだ上の2人が幼稚園の頃の話だが
マラソン大会が近づくと
ママ友さんの間でも
何位以内に入ったら何をあげるという話題で
もちきりになっていた

ある年のマラソン大会の時
うちの子だけ買ってやらないのは
おかしいことなのかなあと気が迷い
10位以内に入ったら
お望みのおもちゃを買ってあげると
約束してしまったのだ。

こどもたちは喜んだが
結果はなんと2人とも11位。
おしーい!(笑)
結局おもちゃは買わずに済んだが。

こどもたちはとても残念だったに違いがない
でも今思えばそれは 「おかげ」だったなあと思う。

あの時順調に10位以内に入っていて
おもちゃをもらっていたら

どうなっただろう?

ご褒美がなくては

本気で走れない子になっていたかもしれない


勉強するにしても
好きなことに打ち込むにしても

「何を目的にさせて頂くのか?」という
ところが要である

 

信心もしかりである
望み通りのおかげを目当てに
神様を拝んでいると
おかげが叶わなかった時
信心するのが馬鹿馬鹿しくなって
やめてしまうことになってしまう 

 

それはまさに本末転倒である

 

神様のくださるおかげというのは
神様の親心から発動されるものだ
神様はわたしたち氏子の親だから
決して氏子のためにならないことは
なさるはずがないのだ

 

そこの親心を分からせて頂く人にならせていただくということが
何よりも大切である。