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おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

平和


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夏休みが
あれよあれよと約半分過ぎた今日
金光教山口平和集会」に参加させて
頂いた

今回の集会では
なんと
「平和の歌をつくろう」という
ユニークなワークショップ?が開催された

参加者がいくつかの班に分かれて
「平和」からイメージされる
言葉(歌詞)を出し合うというもの

うーーーーん、平和、平和、平和。。。

普段から
平和を祈っているつもりだったが
パッと具体的なイメージが
思いつかないのはどういうことだろう?(笑)

とはいえ、
なんとかいくつか思いたった
言葉を出してみた 

わたしの頭の中でひらめいた言葉は

「明るい」「こどもたちの夢」「ゆるす」
「違いを認める」とかだった

ふと
わたしの横で小学生の男の子が一言
「いのち」
と書いていて
オバサンはただただ脱帽!


他にも
「祈り」「広島」「人を責めない」
とか
「親切」「思いやり」「当たり前ではない」
などの言葉が
わたしが参加していた班ではあがっていた

最後に
ひとりひとりが
一羽の折り鶴の羽に
平和の歌の歌詞にしたい言葉を書き
神様にお供えさせて頂いたが
いずれ実際に「平和の歌」が作られるそうだ

 

戦後71年を迎え
当事者の死亡、高齢化により
実際の戦火の記憶が薄れつつある中
このような平和集会も
形骸化しがちであることは否めない

しかしわたしは
出来るだけこれからも参加させて
頂きたいと思う 

 

その理由はとても単純だ
きっと父が生きていたら
参加していただろうと思うからだ

 

わたしの父は
シベリア抑留からの生還者だ。

父がもし、先の大戦で戦火に倒れていたら
シベリアで白樺の肥えとなっていたら
今わたしはここに存在しない

 

父が無事に生還出来たということの裏には
沢山のいのちの犠牲がある 

 

父はあまりその事を語ろうとしなかったが
父の日々黙々と平和を祈る背中が 

今も
わたしの脳裏に焼きついている