おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

今の難儀はきっと未来の宝物

昨日、叔父が参拝された。
叔父は今年84歳になる。


わたしはこの叔父のことが
大嫌いだったし、
恨んでいたと言っても過言ではない

叔父は母の弟になるのだが
母はわたしと叔父との関係を
際の際まで心配していた

わたしが叔父との関係に
苦しんでいたときには
親教会で泣きながら
御取次を頂いたこともある

親先生は
「相手(叔父)の思いをたてなさい」と
御理解くださった

それは無理だと正直思ったが
出来ていたかどうかは別にして
御理解を頂きながら
信心辛抱させて頂いた

それから10年以上も経った今
昔のことを冗談に出来るくらいに
穏やかな気持ちで
叔父と談笑が出来ている

叔父からすれば
わたしはさぞ頼りない教会長だと
思うが
それでも
今ではたててくださる

勿体ないことだと思う

昨日は教会の歴史についての
話や教会の行く末のこと
「真の信心とは」ということで
話は盛り上がった
気がつけば一時間以上の
長話になった(笑)

なんであんなに苦しまなければ
ならなかっただろう?と
時々考えることもあったが

叔父とのことがあったから
わたしは神様に懸命に向かうことが
できた

叔父もまた神様からのお差し向けだった
叔父のおかげで
大切なことを握らせて頂いた

今では叔父の立ち行きを
心から願えるようにならせて
頂けるようになった

そのことが本当に有り難い