おやごころ かみごころ

金光教の教会で御用させて頂く日々の中で感じた神様の話

思春期 VS 更年期



皆様

暑中というか
酷暑お見舞い申し上げます。。。

 

 

夏休みに入り
夏バテしている場合ではなかったのだが
連日のこの暑さは正直身にこたえる

西日本豪雨の被災地の方々のことを
思えば何を甘っちょろいことを。。
と自分でも思うけど。。

 

最近実は心身ともに不安定です!
(威張って言うことじゃありませんけどねえ(^^;))

特に不安感が強く
焦るばかりで事が進まず
気持ちに余裕がない
昔のうつ病が再燃?
いや、年齢的に更年期だから?


かかりつけの病院が内科だけど
女性の先生なので相談してみようかと
思いつつ、ここ丸2日は何もする気力が
出ないままだった。

原因は分からない不安感
でもその一因と思い当たるなかに
長男のことがあった
 
長男は小6
ここ一年くらいの間に
急に背が伸び
声も変わり
わたしに対して反抗するようになってきた

呼んでも返事はなし
挨拶もなし
あれこれ干渉すれば「うるさいっ」

そうです
いらっしゃいました
「思春期(反抗期)」のご到来!

順調に成長させて頂いている

と、頭では分かっているのだが
母親のわたしの心が長男の急成長?に
ついていけていない
情けないことに。。

 

自立心の芽生えはじめた思春期の息子
      VS
もっと大きい心で包み込みたい
でもそんな余裕なしでヒステリック更年期母(^^;)

カーン!

 

実は今年の初めの福引きで引いたみ教えは
「打ち向かう者には負けて時節に任せよ」
だった

 

打ち向かう者って長男だったのかー

そして母が負けなきゃならないのだな。。(;_;)なんか納得できん。。。

 

とはいえ

昔わたしも親に随分と反抗して

心配かけたもんなー


これもきっと末のおかげになるさー

 

と、まあごちゃごちゃ考えすぎて
調子悪そうなわたしを心配してくれた
長女と次男が

今日は
台所の片付けやら洗濯干しやら
夕飯のカレーライスを
作ってご馳走してくれるやらの
親孝行ぶり
(あ、長男は知らんぷりです)

 


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大鍋一杯のカレーに
こんだけの量一体どおするんだ?!と
気になりつつも(笑)
工程になぜか二時間もかかった力作の?カレーのおかげで少し元気になれたかな

こどもたちに一喜一憂させられっぱなしの
この頃

 

人生山あり谷あり

ハアー、元気出さなきゃだ

助かりのための練習帳


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一昨日と昨日
教区の会合に泊まりがけで参加させて
頂いた

頂いている役目上欠席はしたくなかった
しかし家事等のことで
当初は泊まるつもりはなく
一日目に一旦帰って
翌日また出直すつもりでいたが
思いがけず主人の方から
「そんな無駄なことをせんでも泊まってきたらええやん?」
と言ってくれたので
遠慮なくそうさせて頂くことにした。
さらに
そのことを知った主人の母がこどもたちのことや食事の準備等していくのが大変だろうからとわたしの留守中泊まってくださることにもなった

 

家族の心を通して神様が
「しっかり研鑽してきなさい」
「お役に立ってきなさい」
と働きかけをしてくだっていることを実感した

2日にわたっての会合は無事に終わり
帰路についた。
新幹線のなかで
晩御飯のメニューをあれやこれや考えていた

駅につくと
その日会社が休みだった主人が
長男と一緒に車で迎えにきてくれた

うれしい!有り難い!もったいない!
そんな気持ちで帰ってみると
台所にはコロッケやら唐揚げのお惣菜
炊飯ジャーには炊き込みご飯が炊かれていた

 

至れり尽くせりである

 

それを見てわたしは
「やったー。今日は晩御飯簡単でいいやー」
と得した気分にヤレヤレと思った

そして

簡単なおかずを少しだけ作り
お惣菜と炊き込みご飯と共に食卓に並べた

 

ところが食事しながら
主人の機嫌があまりよくない
なんだかグチグチとイヤミっぽく言うのだ

 

会合も無事参加でき
せっかく有り難い気持ちで喜んでいたのに
そんなん言わなくても。。。とか
疲れて帰ってきたのに。。とか
わたしの心の中にもたちまち
不平不足の雲がモヤモヤと立ち現れ
喜びの心

感謝の心が一気に隠れてしまった

後で知ったが

コロッケやら唐揚げやら
簡単に出来るおかずの材料は主人の母が
用意してくれたものらしい
きっと
疲れて帰ってきて晩御飯作るのは
大変だからと思って用意していて
くれたに違いない

そして炊き込みご飯の方はレトルトのものに
少し野菜を加えて主人が炊いたようだ

 

落ち着いて考えてみると
わたしは
主人や主人の母の真心に甘えて
思いっきり
ぶら下がってしまってたなあと思う
そんなわたしの甘え心が主人を不機嫌にさせたのだ

 

「わが身わが一家を練習帳にして神のおかげを受けて人を助けよ」
とみ教えがあるけれど
一番近しい家族というのは
わたしの本質をよく知っている存在
である 
わたしにとって家族との間のことは
どんなこともみな

「わたしの助かりの道しるべ」だ

ところが
こうすればよいと
頭で分かっていても
なかなかその通りになぞれない

家族の心も
わたしの心もまさにそういうものだな


でも駄目だとあきらめずに
何度も何度も

出来るまで稽古だ

階段


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先日久々に母の夢を見た
といっても僅かな時間だった気がするが
それはどこかの道を歩む母の後ろ姿だった

それからまた数日後くらいだったか
何もしていないのに
なぜか左足の膝小僧が痛み出した

最初は気にもとめなかったが
その痛みは日に日に増していき
歩くのにも困るぐらいになったので
大祭前の時期ということもあり
念のため病院へいくことにした

検査の結果、骨には異常なく
膝の脂肪組織に炎症が起きているとのことで
湿布薬を処方していただいた
左足に体重をかけると痛みが走るので
特に階段を昇る時には
左足を庇いつつ右足だけに重心をかけるように
一歩一歩昇るというかんじだった

痛みのある最中のわたしの心には
「大丈夫かな?治るかなあ?」
「大祭が近いのにまいったなあ」
そんな心配で頭がいっぱいだった
うちの教会は2階がお広前なので
準備の御用となると
1階と2階の往復で上下の動きが多いからだ


その後湿布が効いたようで左足は日に日によくなり
階段も普通にトントンっと軽快に昇り降りが
出来るまでにおかげを頂いて治った

そんな矢先に
ある先生の教話が掲載されている冊子に出会った
そしてその本を拝読しながらハッと思い出されたことがあった
それは「階段を一段一段昇る母の姿」である

母はわたしが中学生の頃
脳梗塞になり左半身不随の障害がのこった
さらにそれから11年後に父が亡くなってから
母はその後を受けて教会長の御用をさせて頂いた
特に教会長として御用に立たれた7年間
不自由な身体であったが
毎日毎日、階段をあがって2階の御広前へ
出仕し御用にお使い頂いた

その日常の母の後ろ姿が思い出されたのである

そしてその母の姿が
先日まで痛い左足を庇って
階段を昇っていた自分の姿とだぶった

しかし
姿は同じようでも
母とわたしでは
心根が違ったということにも気がつかせて頂いた

わたしは心配しながらの一歩一歩だったが
母は「金光様」と祈りながらの一歩一歩だった

その違いがいよいよハッキリと分からされた

さらに
心身の健康を頂いている状態のわたしの日常
つまりトントンと軽快に階段を昇ることが出来ているわたしには

祈りがないことに気がついた

その母の後を継いで13年が経とうとしているが
「受け継ぎきれていない自分」を思い知らされている

いくら軽快に階段を昇ることが出来るわたしでも

金光様と祈りながら一歩一歩足を進める母の後ろを歩ませて頂いていることを忘れてはならないと
改めて思わされている

 

 

 

明玉(あかるたま)

タイトルは
今お稽古中の典楽の曲名だ

比較的短い曲だけど
わたしには非常に難しい曲に思える


ちなみに歌詞をご紹介すると

「明玉(あかるたま)あかるたま
 透(すき)徹(とお)りたる こころもて
     仕えまつらむ みまつりののり」

 

最初さっぱり歌詞の意味が分からなかったが
稽古させて頂きながら
何となくではあるがつかませて頂いた気がする

わたしが特にズキンとくるのは
「すきとおりたる こころもて」
という歌詞だ

つまり近頃、自分の心が
にごっているなあと感じている(^0^;)


これまで沢山のおかげを頂いてきた
それは決して当たり前ではないことだけど
なんだかその上にアグラをかいてしまって
喜びを忘れてしまってるなあと思う

特に自分に頂いている御用に対しての姿勢が

崩れ、喜びが薄れてしまっているのだ

 

この曲とのご縁も
そういう時だからこそなのかもしれない

 

というか絶対そうだ。。。(^^;)

 

ただただ
この曲の心がちゃんと頂けますように。。

と願いつつ

心も技も稽古あるのみだなあ。。

 

さらになる稽古

 先週末、御霊地で行われる

典楽会の本部練習会に参加させて頂いた

 本部楽員にならせて頂いて3年になるが

この本部練習会に参加させて頂くのが楽しみである

というのも約2日間ほぼ稽古漬けのスケジュールなのだ

特にストイックな稽古が好きなわけではないが、長時間、楽のことだけに集中出来ると

いうことがとても有り難い

 普段教会で稽古するのは1~2時間が関の山だし、

その時間も毎日とれるわけではない。

稽古しながら、他のことが気になったり、

時間が気になったりして、なかなか集中

出来ないことの方が多い

 練習会では4月に仕えられる天地金乃神大祭の

ご奉仕曲を中心にお稽古させて頂く

 箏は特に唄ものの曲を稽古するが

この唄ものが実は奥深くて難しい

今のように録音機器がなかった昔は

「口伝」だった

しかも唄自体の譜面はなく、

箏の譜面の横に 歌詞が記してあるだけである

そのため唄の節回しは 非常に個性に左右されやすい面があり

地方によって、また 教えて頂く先生によって 「違う」ということが起きる

その「違い」をなるべくなくし

ご奉仕のときにみんな 唄が揃うように

ということで 典楽会の本部指導員の先生方は

苦労されているそうだ

 わたしは幼い頃から楽の御用をさせて頂いていたが

典楽会に所属していたわけではなく

昔の先生が吹き込まれたカセットテープをお手本にして

我流で稽古するというようなことだったので

非常に個性的な節回しが身についていた。

だから40歳過ぎて楽員試験を受ける時には

自分の中で結構な改変をせざるをえなかった

それは技量的にももちろんだが メンタル的にもつらいものがあった

何というか

どうしてもこれまでの自分を「否定」されて

いる感じがしてしまうからだ

ある時 なかなか我流の節回しがなおらず

途方に暮れるわたしに 指導員の先生が

「新しい曲だと思って稽古しなさい」

と教えてくださった

その一言で 「ああ、なるほど」と合点がいき

そのときから

「自分の経験をリセットする稽古」

が 始まった気がする

 このリセットの稽古は 楽員におとり立て頂いてからも

色々な場面で続くようだ  ご奉仕曲はいつもその年その年で 典楽会で審議され方針が決まっている

唄の節回しは特にその年の方針で 以前と同じ曲であっても

「今年はこう」というものがある

 わたしは昔から教会で楽の御用させて頂いたといっても

数多ある吉備楽の曲の中で

教会の祭典で使用するほんの数曲のみしか知らなかった

だから楽員にならせて頂いてから

毎回毎回 教えて頂く曲は今のところ全部

「初めまして」な曲ばかりだ

それは曲を0から覚えなくてはならないので 確かに大変ではあるが、

「以前はこうだった」 

というような 経験がないだけに、

ある意味楽なのである

しかしやがて経験を重ねていくと

どうしても

「前はこうだった、ああだった」

という気持ちと向き合わなければならなく なるだろう

歳を重ね経験を積んでも 「リセット」出来るような 自分でありたいと願うが、、、、

 今も油断して稽古を怠ると昔に染み付いた我流な節回しが

ひょこっと顔を出すことがある

三代金光様が仰った

「日々がさらです」

という み教えの凄さと奥深さを

ほんの少しだけ感じさせて頂いているこの頃である

お節介おばさん

 今観ているドラマのひとつに

監獄のお姫さま」というのがある

これは宮藤官九郎氏の脚本のドラマ ということで

面白いに違いないという確信を持って 最初から

見始めたが 次の火曜日でいよいよ最終回となる

 

このドラマを端的に表現すると

「おばさん達の壮大なお節介物語」である

 

お節介というと普通あまりよいイメージではない

そのせいか 最近はお節介な人が絶滅寸前な気がする

「ややこしいことに首を突っ込みたくない」

「人に迷惑だと思われたくない」

そんな気持ちがお節介を引っ込ませてしまう

 

いわゆる「事なかれ主義」が台頭する今の世の中

 

ドラマの中の中ではおばさんたちは

みな自分の人生を犠牲にしてまでも

「姫」のために復讐を計画するが、

このおばさんたちはどこか 「姫」のためではなく

自分のために やっている節がある

 

実はわたしも今「絶賛お節介中」である

日常生活を送りながらも かれこれ数ヶ月間

そのことが頭から離れない状態だ

本人に喜ばれているかといえば

疎ましがられてる部分は往々にしてある

まさに「お節介おばさん」と化している

 

お節介を焼いていて 自分は何やっているんだろうと  ふと冷静になることがある

モヤモヤする事だってある

 

ただ「事勿れ主義」で 常に自分は安全な場所にいて

渦中の人のことを あれこれと言う人にはなりたくない

 

改めてそう思う

 

さて数ヶ月間焼いてきたお節介も

一段落したと思ったら

ついついまた手を出さなくても済みそうなことに

手を出し始めてしまった

 

別にわたしがしなくても良いようなことである

ただでさえ忙しいのに 自分で自分の首を締めている

ようなものだ

蚊帳の外から見ている人には

「お馬鹿」と思われるかもしれない

 

それでもわたしの中の

「お節介おばさん」が動き出す

 

この「お節介おばさん」は

厄介だけどしばらく 付き合っていくしかなさそうだ

助かってくれよという祈り

「ありがとう 言えた自分に ありがとう」

これは二十年ほど前にお世話になった

金光図書館を辞して教会へ帰るとき
当時の館長先生が
額に入れてくださった餞の言葉だ

当時のわたしは非常に心が荒み
逃げるように退職したこともあり
そのような餞の言葉は
当時の自分の心のなかでは宙に浮くばかりだった

それでも
心の奥底では
なれるものならこういう心になってみたいと
思っていたのかもしれない


あれから二十年が経って
今改めてこの言葉を詠んでみると
その言葉の意味と
その言葉にかけてくださっていた
「助かってくれよ」
という切なる祈りが鮮明に心に迫ってくる

今の自分には心から
「助かってほしい」と願う人たちがいる
でも
力になりたいと思っても
手を出せない状態が続いている
自分の無力さを嫌というほど感じている

ただただ神様に祈るしかない
そう思うなかで気づかされたこと


それが
あの餞の言葉をくださった館長の
「助かってくれよ」という祈りだ

 

「わが心でわが身を救い助けよ」
「わが心でわが身を生かすこともあり殺すこともある」
というみ教えがあるように
神様が助かってほしいと願いをかけてくださっていても
その神心をわたしたち人間が認識出来なければ

神様だって助けようがないという部分がある

実際わたしもつい最近まで
その神様の心が
そして
祈りをかけてくださっていた人の心が
認識できない人間だった

難儀にうもれながら
ただただ駄目な自分を責め
「生きていてごめんなさい」
と謝ってばかりだった

 

そんなわたしがいまこうしていられるのは

どんな自分であっても
祈られ願われている
ということに気がつけたということ

そしてそのことに「ありがとう」という
一言が言える心になれ

そしてよく気がつけたねと
自分の心にも「ありがとう」が言える心になれたというこ


わたしが今出来させて頂けること

それは

わたしがこれまでして頂いたように
わたしも今は

助かってくれよと信じて祈って待つのみなんだな

きっと