紅葉
前の記事を更新してから 2か月が経過。
久々に更新する気持ちになった。
相変わらず忙しい日々の中で
色々なことがありながらも
今日おかげを頂いているなあと 実感している
先日は教会の生神金光大神大祭も無事
おかげを頂いて
御本部に御礼参拝させて頂いた
行きの新幹線の中で
本当にもったいないなあという気持ちに
ならせて頂いた
もったいないというのは
新幹線の料金のことではない(笑)
「有り難き 畏れ多き もったいなき」
のもったいないである
色々あったから 分からされることがある
見えてくるものがある そう思う
今日は連合会の育成部の会議があった。
紅葉の時期で
行きすがらの山道の木々が紅葉しているのを 見て改めて綺麗だなあと思った。
別に紅葉の名所でもなんでもないのだけれど 綺麗だなあと。
父がお国替えして18年が経った。
秋は好きだったが 父が秋の最中に亡くなってから
ますます好きになった。
生命力に満ち満ちた新緑の山々の景色も 綺麗だが、
やはりわたしは紅葉の山々が 好きなのだ
赤い色もあれば黄色もあり
鮮やかな茶色もあれば
くすんだ茶色もある
春はみんな緑だったのに
それぞれの木々がそれぞれに 成長して
自分の色を発しているのだ
そう思ってみると なんとも感慨深いものだ
わたしはますます秋が好きになった
煮え切らない日々
久々の更新
精神的に余裕なしの毎日に加え
ここ最近
とてもショックなことが続き
夏の疲れもあって
少し鬱々な日々を
実は送っている
出来れば
明るく前向きな気持ちで
ブログを更新したい
でも今回は少し
いや、かなり鬱っぽい気持ちを
吐き出します
暗い気持ちになりたくない方は
これ以上は読まないでください
ここ最近立て続けにショックなことが
起きた。
しかも、それは初めてではないことだ
以前にも
同じようなことに出くわしたことがある
またか!という思い
そして
悪い方向にしかいかないわたしの思考
わたしはこの壁を乗り越えて
おかげに出来るだろうか?という疑念との戦い
これまで取り組んできたことが
積み重ねてきたことが
見事に足元からすくわれて
しまうような衝撃を受けて
わたしは
面くらってしまった
神様は本当に厳しい
容赦がない
自分の信心が
如何に薄っぺらいものかを
目の当たりにさせられるような
出来事
本当に挫けそう
でもなんとかギリギリで
持ちこたえている状態
負けてたまるか!
誰に?
弱っちょろな自分に
こういう修行が
一生続くのだ
そんな時
教会連合会の臨時総会が開催された
次期連合会長の選出が
揉めに揉めた上に
結局時間切れとなっても
決まらないという
非常事態となった
わたしはその総会で司会の御用を
させて頂いたが
その様相は
本当に異様だった
詳しくは言えないが
それぞれが
教会の諸事情を持ち出して
みんなまるで
「逃げとけ 避けとけ 回っとけ」状態
わたしはとても憤りを感じた
誰も受けないならわたしが受けてやる
正直そう思った
とはいえ
実際私の手元はそれどころではない
手元が覚束ない状態
しかし
絶対言い訳はしたくなかった
でも
へんな意地で受けたところで
おかげにならないということも
わかるから黙っていた
それからというもの
ずっと考えている
御用って何だろう?
信心とは?
自分は安全な場所にいて
もっともらしく語っていて。、。
しかしそれは「ホンモノの情熱」だろうか?
私自身
毎日の自分が
毎日毎日中途半端で終わっている
だから言う資格はないけども
でも
「大変だー大変だー」と喚いても
見苦しいだけではないか?
大変な中にも
黙って逃げずに
神様からの差し向けと信じて
受けていこうとするところに
神様はおかげをくださるような
気がする
それが間違いなく
このお道の教師の修行
連合会の御用も神様の御用に違いない
神様の御用は
暇があるからするのか?
生活に余裕があるからするのか?
いや、
暇があろうがなかろうが命がけでするものだ
だって
かつてのお道の教師がそうであったように
いやさらにさかのぼって
教祖様の生き様がそうだったではないか?
なんだか煮え切らない日々を送っているこの頃だ
とはいえ
今は手元をしっかりおかげ頂くしかないのだ
平和
夏休みが
あれよあれよと約半分過ぎた今日
「金光教山口平和集会」に参加させて
頂いた
今回の集会では
なんと
「平和の歌をつくろう」という
ユニークなワークショップ?が開催された
参加者がいくつかの班に分かれて
「平和」からイメージされる
言葉(歌詞)を出し合うというもの
うーーーーん、平和、平和、平和。。。
普段から
平和を祈っているつもりだったが
パッと具体的なイメージが
思いつかないのはどういうことだろう?(笑)
とはいえ、
なんとかいくつか思いたった
言葉を出してみた
わたしの頭の中でひらめいた言葉は
「明るい」「こどもたちの夢」「ゆるす」
「違いを認める」とかだった
ふと
わたしの横で小学生の男の子が一言
「いのち」
と書いていて
オバサンはただただ脱帽!
他にも
「祈り」「広島」「人を責めない」
とか
「親切」「思いやり」「当たり前ではない」
などの言葉が
わたしが参加していた班ではあがっていた
最後に
ひとりひとりが
一羽の折り鶴の羽に
平和の歌の歌詞にしたい言葉を書き
神様にお供えさせて頂いたが
いずれ実際に「平和の歌」が作られるそうだ
戦後71年を迎え
当事者の死亡、高齢化により
実際の戦火の記憶が薄れつつある中
このような平和集会も
形骸化しがちであることは否めない
しかしわたしは
出来るだけこれからも参加させて
頂きたいと思う
その理由はとても単純だ
きっと父が生きていたら
参加していただろうと思うからだ
わたしの父は
シベリア抑留からの生還者だ。
父がもし、先の大戦で戦火に倒れていたら
シベリアで白樺の肥えとなっていたら
今わたしはここに存在しない
父が無事に生還出来たということの裏には
沢山のいのちの犠牲がある
父はあまりその事を語ろうとしなかったが
父の日々黙々と平和を祈る背中が
今も
わたしの脳裏に焼きついている